拉致被害者救済国民大集会

 12月22日、日比谷公会堂で開催された上記集会に参加した。全国集会にはこの3年ほど毎回参加している。この問題に対する日本国民の強い意思を内外に表明するためにも、一人でも多く参加することが大切だとの思いから参加してきた。その意味において、可能な限り参加することは国民の義務だ、くらいに思っている面もないわけではない。

 勿論、帰国者や被害者家族、その支援者達の話にも毎回感動と感銘を受けてきた。その中でも今回はタイ、レバノン、韓国の拉致被害者家族の方達もメインゲストとして参加され、拉致問題が国際化されてきたの感を強くした。外国ゲストの人達の貴重なお話を聴くこともでき、その生の声に接するのは活字から受けるものとはまた違った強い感銘を受けるものであった。

 今回はまた、北朝鮮にいる拉致被害者に向けて短波放送される予定の被害者家族の呼びかけ原稿を直接何人かの被害家族の方々が読み上げられたのだが、そのご心情の深さにはとても活字では表せないものがあった。この被害者家族の人達の叫びを、この集会参加者だけで聴くのは如何にも勿体ないとの気持ちを新たにした。

 今回も沢山のテレビ報道陣が来ていたが、彼らがその画像をまともに放映するのを今まで見たことがない。多額の取材費を使って一体誰に向けて放映するのか、いつも疑問に思うことの一つである。日本ではどんなことをやっているのか、どんな奴がどんなことをしゃべるのかを、どこかの国の将軍様にでもつぶさに見て貰うためなのかと、冗談ではなく思ってしまう。

 いつも被害者家族の人達がうったえられることがある。それは、なかなか動かない政府に対して、国民の皆様の変わらぬご支援をお願いしたいということだ。家族の方達が言われるまでもなく、同胞が他国権力によって拘束されたのならば、その生命を守るのは日本国の責任ではないか。政府が動かなければ国民が動くのは当然ではないか。その動き方は色々あるだろうが・・・。

 もう一つ、この拉致問題は単に被害者家族の問題だけではなく、日本国の問題であると考えて頂きたいと訴えられるのを聴くことがある。私は全く同感である。勿論個々のご家族の心情に涙しないわけではないが、これは日本国存在の意義を突きつけられた問題だととらえている。私は、その思いからこのブログを立ち上げた。

 つまり、今やこの国は内外からの危機を抱えることになってしまっている事に気づいたからである。特に、一見目に見えない内からの危機が目の前に迫っていることに気づいて愕然としている次第である。そのことについて述べるのは機会があればまた他日にしたい。

 私はこのブログに書く内容によって、拉致問題の放置、その他この国の危機を招き兼ねない諸々の問題について、それに反対する人間が「ここにも一人いるぞ」ということを表明する為にこのブログを立ち上げた。それ以外のなにものでもない。付録として、私のコメントを読んで貰ったことがきっかけとなってこの国の危機について気づいて下さる人が一人でも増えるならば、それは私にとっては大きな満足である。そう言う効果があるとするならば、このブログが一人でも多くの人の目に触れるようにしたいと思わないでもないが、それはランクが上がることとは無関係である。また、単なる報道屋でもないから、それを目的とする人の期待に添う気持ちは毛頭ない。

 そう言う趣旨から、私は、この目的に合致する他のブログを心から応援している。そして、そのような良質なブログが多くの人達の目に触れやすくするためにできるだけランクアップに協力することにしている。だから同じ思いの人達にもそのようにして欲しいと心から願っている次第である。

 

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