新潟・笹川邸

 政治的にこれほど騒がしい年も近年珍しいですね。戦後60年と言う節目の年であることを差し引いても色々ありました。その筆頭は言うまでもなく3月、4月に繰り広げられた中・韓による反日デモでした。あの騒ぎを見て、普段政治的な問題にそれほど関心があるわけでもない普通の日本人でも流石にこれは何かおかしいのではないかと思い始めたことは確かです。

 私もそういう感慨を持った一人でした。彼らが騒ぐだけのことならまだしも、それに対する我が日本当局(官邸・外務省や政治家等)のあまりの不甲斐なさに、これは一体どういう事だ、日本はいつからこんな国になってしまっていたのか、とあらためてこの問題の根深さに気が付いたと言うのが偽らざるところかも知れません。

 勿論その片鱗にはもっと以前から気づいていたことでした。例えば昨年のアジアカップにおける中国各地における理不尽なデモ騒動、その他審陽日本領事館駆け込み事件に於ける領事館員の対応姿勢(中国官憲の不法侵入に対してご丁寧に帽子を拾ってやったという笑えぬ行動)、首相の靖国参拝や教科書採択に対する露骨な内政干渉尖閣諸島竹島問題、度重なる領海侵犯、偽遺骨を臆面もなく渡しながら傲慢な拉致実施国、これらに対する当局の腰の引けた対応、それらをまざまざと見せつけられれば流石にこれはおかしいと思うのが近代国家を戴く常識的国民の反応ではないでしょうか。

 こういう事が繰り返し起こるのは一体何故なのか。それを考えて行く内に私なりに一つの結論に達しました。全ての根源は、多くの日本人が所謂自虐史観に囚われていると言うことです。「自虐史観」、今の私には一種の洗脳のように思えます。私自身戦後60年の長きに亘ってこの洗脳状態に置かれていたことが実感できます。この状態からの解放がなければ、外交問題だけでなく教育問題、青少年問題等重要な内政問題についても真の国政を政府に期待することはできないと、そしてこのままの状態を続ける限り我が日本民族の将来は非常に危険だと言うことに気が付きました。

 今頃気が付くのでは遅かったのかも知れません。大変な回り道をしたのかも知れません。でも、慨嘆するだけで何もしないよりも、気が付いた者がその時点で警鐘を鳴らす努力をするのも人の道かと思います。
 それでこのブログを立ち上げることにしました。歴史認識を改めた日本人がここにも一人いるぞと言うことをなんとしても示す必要があったからです。見渡せば、遙か以前から多くの賢人達が自虐史観の危険性を論じています。しかし、残念ながら多くの日本人は未だにその洗脳から解放されないままに、否、その状態にあることすら気が付かないままに、将来の日本を背負って立つ子供達にその誤った自虐史観を植え付け、彼らの自尊と自信の精神を殺いでいます。こんな事を繰り返していると、日本民族自滅の道をを招くことに繋がり兼ねません。

 私はこのブログにおいて、自虐史観はどのようにして作られたのか、それによってどのような悪影響が我が民族に降り注いだか、それから脱却する為にはどうしたら良いか、等を考えていきたいと思います。.
 また、我が国の内政に常に干渉してやまない中国、南北朝鮮の人々の民族性とはどのようなものなのか、我々戦後日本人がタブー視していたが為にあまりにも無知でありすぎたこの問題にも踏み込んで考えて見たいと思います。


 それは、野放図なODA支援による目に見える国益の流出に歯止めをかけるに止まらず、腰の引けた卑屈な日本人ではなく、自信と自尊に満ちた日本人を育てる為にも避けて通れない課題だと思います。
 日本が危ない。日本人よ、自虐史観の洗脳から目覚めよ! これが今の私の切実なモットーとなりました。



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